住まいづくりを応援します/ミタキスペースファクトリー › 2010年04月06日
2010年04月06日
産業と住まい その2 工業と住まい1
先に記した農業の世界は、工業という産業が出来た事により人が流出します。すると血族、共同体は徐々に解体され危機が訪れます。しかし、それを救ったのも工業で、農業機械の導入で、かつての大家族形態でなくても農業は維持出来、結果今の山村や農村の形態へと繫がるのです。そして、どんな時代が来ても変る事を好しとしなかった。これは現代になると一つの価値であり文化財になった民家も多く存在しています。
さて工業ですが、
明治から大正、昭和と工業という産業は様々な変化と成長をします。軽工業から重工業、家内工業から大量生産、視点は様々あり解釈も様々ですが大きな解釈で記します。
産業革命後の流通は船舶、鉄道、そして人馬によるもので、流通が円滑に行われる港湾、鉄道沿線、街道沿いを中心に今の都市の種の様な場所が全国各地に興ります。この頃の住まいを見ると、労働の場を中心にした労働者の住まいもありますが、まだまだ今の商店に近い、職住一体の形式も多く見られました。
初期の頃は、まだ住まいが工業化を理解できず、農家の延長の様な形態であり、労働者の住まいは江戸の長屋とさほど変らず、職住一体型も農村の民家の土間を作業場にした程度です。
現パナソニックの松下幸之助が創業した家の再現モデルを見たことがありますが、決して工場と言えるものではなかったです。創業が1918年(大正7年)ですから、一般の人々の住まいはさほど進歩していなかった事が分かります。
大きな視点で見ると、明治、大正と言う時代は工業が興り、人々が動き、都市の形成が成された時代で、その要素である住まいはさほど大きな進化をしなかったと見えます。国が豊かになる過程の中で人々も労働者として財を蓄えている時代と言っても良いのかもしれません。
この後、上流の人々の暮らし、西洋の暮らしの情報が憧れを与え、住まいも徐々に変化していきます。松下幸之助に代表される新しい技術を求めた人々による高度成長の時代。僕らも半分弱を知る昭和がやってくるのです。
ようやくこの頃の住まいには面白い特徴が出てきますが、その話は次回へ。