住まいづくりを応援します/ミタキスペースファクトリー › 2013年03月
2013年03月29日
応援します! ~太陽光発電と住まいづくり~ その1
桜が満開になりました!
そして、段々と日も長くなって居ます。
電力の定額買取価格42円は終わってしまいますが、
消費税、電気代のアップで夏に向けてまたソーラー発電の話題が
多くなってくるでしょうね。
かねてより、友人、知人、OBのお客様から
『ソーラー発電ってどうなの?』と聞かれる事が増えていましたので、
一度そのあたりをまとめておこうと思います。
最初は”太陽光とは” 編です。

『なぜ太陽光発電なのか?』
物事を考えるときは原理原則からが建築士の性です。。。。
また”小難しい!”と怒られそうですけど”太陽光”について考えます。
あたりまえの事ですが、太陽は無くなりませんよね(笑)
正確に言うと無くなったら人間も居なくなります。
”無くならない”という価値はどんなに凄い事なのでしょう?
石油もガスも鉱石も限りある資源です。
大量に消費すれば、いつか必ず無くなります。
最近、愛知県沖で試験採取されたメタンハイドレートも100年分の
資源と試算されましたね。
多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだけど、
100年前の1913年は大正2年。江戸でも明治でもないんです。
100年ってそんな昔ではない気がしませんか?
しかも、
100年前の日本の人口は2500万人。
現在が1億2700万人。
100年後、日本の人口予測は昨年出た数字でも4200万人程度。
これからの100年は、エネルギーを使う人口が大幅に減少しながら
の100年分だということです。
では、これまでの100年。
世界中の人口が増加する中で消費されてきた石油はどうだったのでしょう?
石油が機械によって採掘され出したのが1860年から70年頃だと言われ、
その後のガソリンエンジンの発明による石油大量消費時代が訪れます。
1973年にはオイルショックもあり、その頃から既に石油の枯渇が言われて
いました。新しい技術、新しい場所で採掘はしていますが、まだ200年に届
かない資源だと言えます。
サスティナブル(持続可能)な仕組みを持っていたとして近年評価されている
日本の都市”江戸”は270年続きました。
100年という単位で考えると、一つの限りある資源に頼った社会は未だ
江戸時代より長くは続いていないということになりますね。
こんな風に考えると、島国日本の未来の子供たちのために
”無くならない資源”を活用しなきゃ!って思いませんか?
”太陽光”を人間中心”に考えるならば、
太陽光は酸素や水と並び人間と並行して存在し続ける資源です。
原理・原則からして”太陽光”を活用することはサスティナブルな
社会の実現に向けては不可欠な要素だという事ですね。
ただし、両手を挙げて”太陽光発電”をしようとは言えません。
次回はそのあたりを
つづく。。
そして、段々と日も長くなって居ます。
電力の定額買取価格42円は終わってしまいますが、
消費税、電気代のアップで夏に向けてまたソーラー発電の話題が
多くなってくるでしょうね。
かねてより、友人、知人、OBのお客様から
『ソーラー発電ってどうなの?』と聞かれる事が増えていましたので、
一度そのあたりをまとめておこうと思います。
最初は”太陽光とは” 編です。

『なぜ太陽光発電なのか?』
物事を考えるときは原理原則からが建築士の性です。。。。
また”小難しい!”と怒られそうですけど”太陽光”について考えます。
あたりまえの事ですが、太陽は無くなりませんよね(笑)
正確に言うと無くなったら人間も居なくなります。
”無くならない”という価値はどんなに凄い事なのでしょう?
石油もガスも鉱石も限りある資源です。
大量に消費すれば、いつか必ず無くなります。
最近、愛知県沖で試験採取されたメタンハイドレートも100年分の
資源と試算されましたね。
多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだけど、
100年前の1913年は大正2年。江戸でも明治でもないんです。
100年ってそんな昔ではない気がしませんか?
しかも、
100年前の日本の人口は2500万人。
現在が1億2700万人。
100年後、日本の人口予測は昨年出た数字でも4200万人程度。
これからの100年は、エネルギーを使う人口が大幅に減少しながら
の100年分だということです。
では、これまでの100年。
世界中の人口が増加する中で消費されてきた石油はどうだったのでしょう?
石油が機械によって採掘され出したのが1860年から70年頃だと言われ、
その後のガソリンエンジンの発明による石油大量消費時代が訪れます。
1973年にはオイルショックもあり、その頃から既に石油の枯渇が言われて
いました。新しい技術、新しい場所で採掘はしていますが、まだ200年に届
かない資源だと言えます。
サスティナブル(持続可能)な仕組みを持っていたとして近年評価されている
日本の都市”江戸”は270年続きました。
100年という単位で考えると、一つの限りある資源に頼った社会は未だ
江戸時代より長くは続いていないということになりますね。
こんな風に考えると、島国日本の未来の子供たちのために
”無くならない資源”を活用しなきゃ!って思いませんか?
”太陽光”を人間中心”に考えるならば、
太陽光は酸素や水と並び人間と並行して存在し続ける資源です。
原理・原則からして”太陽光”を活用することはサスティナブルな
社会の実現に向けては不可欠な要素だという事ですね。
ただし、両手を挙げて”太陽光発電”をしようとは言えません。
次回はそのあたりを
つづく。。
2013年03月20日
応援します! ~太陽と風と住まいづくり~
前回は季節による気持ちの変化について書きました。
今回は春分の日ということで、季節による日当たりと風についてです。
私たちの暮らす日本には四季があります。
そして北は北海道から南は沖縄まで、地域による様々な気候があり、
その地域で考えられた地方色ある民家がありました。
今はどうでしょう?
全国一律の情報のもと画一的な住まいが全国区で建てられています。
『本当にこれで良いのでしょうか?』
日本の四季は今でも変わらず繰り返しているのに・・・
季節の変わり目に、自分が住む町の気候・風土について考えてみては
いかがでしょう。
さて、住まいづくりに於いてみなさん気になるのは
”日当たり”と”風通し”ではないでしょうか。
ミタキではCGを使って、両方のシュミレーションが行えます。
隣に大きな建物がある時はとても便利で安心です。
解像度が低いですがこんな感じです。
日当たりシュミレーション
風通しシュミレーション
体験してみたい方は土曜日の建築相談へ遊びに来て下さい。
お申し込みはコチラ
今回は春分の日ということで、季節による日当たりと風についてです。
私たちの暮らす日本には四季があります。
そして北は北海道から南は沖縄まで、地域による様々な気候があり、
その地域で考えられた地方色ある民家がありました。
今はどうでしょう?
全国一律の情報のもと画一的な住まいが全国区で建てられています。
『本当にこれで良いのでしょうか?』
日本の四季は今でも変わらず繰り返しているのに・・・
季節の変わり目に、自分が住む町の気候・風土について考えてみては
いかがでしょう。
さて、住まいづくりに於いてみなさん気になるのは
”日当たり”と”風通し”ではないでしょうか。
ミタキではCGを使って、両方のシュミレーションが行えます。
隣に大きな建物がある時はとても便利で安心です。
解像度が低いですがこんな感じです。
日当たりシュミレーション
風通しシュミレーション
体験してみたい方は土曜日の建築相談へ遊びに来て下さい。
お申し込みはコチラ
2013年03月19日
応援します! ~季節と住まいづくり~
今日うちの子が「空気が気持ちイイ~!」と言って出かけて行ったそうです。
卒業から入学と気持ちも新たになり、気温も温かくなって、
気持ちが明るくなってくる季節ですね。
そう!この「気持ちが明るくなる。」という事が
住まいづくりにも影響するのですよ!
知ってました?
特に影響するお話、それは「色の選択」です。
外壁、サッシ、玄関など外部の色。
壁紙、塗装、タイル、お風呂、トイレ・・・室内にも様々な色があります。
ここにその時の季節の影響が出てるんです!
例えば、お風呂の色なんかが分かりやすいですね。



好みではなくて、直感でどの写真が気になりましたか?
きっとピンクあたりが脳にはよく見えてるはずなんですけどね。
春はグリーン、ピンク、ライトベージュ
夏になるとブルー、ホワイト
秋冬はベージュやブラウン
「そんなこと無いよ~」って思うかもしれませんが、
何度もお客様とショールームに行って気づいた経験なんですよ。
もちろん!そこはアドバイスさせてもらってます。
『今が夏だからブルーじゃないですか?』
『冬は寒く感じるかもしれないですよ~。』
『好きな色とか中間色がちょうどイイですよ~。』
なんてね。
そして、春からの季節、一番最初に書いた様に、
「お客さまの気持ちも明るく、夢がふくらみます」
こんな季節の打ち合わせはとても楽しい!!
楽しく住まいづくりを始めるなら春がおススメです!
続きを読む
卒業から入学と気持ちも新たになり、気温も温かくなって、
気持ちが明るくなってくる季節ですね。
そう!この「気持ちが明るくなる。」という事が
住まいづくりにも影響するのですよ!
知ってました?
特に影響するお話、それは「色の選択」です。
外壁、サッシ、玄関など外部の色。
壁紙、塗装、タイル、お風呂、トイレ・・・室内にも様々な色があります。
ここにその時の季節の影響が出てるんです!
例えば、お風呂の色なんかが分かりやすいですね。



好みではなくて、直感でどの写真が気になりましたか?
きっとピンクあたりが脳にはよく見えてるはずなんですけどね。
春はグリーン、ピンク、ライトベージュ
夏になるとブルー、ホワイト
秋冬はベージュやブラウン
「そんなこと無いよ~」って思うかもしれませんが、
何度もお客様とショールームに行って気づいた経験なんですよ。
もちろん!そこはアドバイスさせてもらってます。
『今が夏だからブルーじゃないですか?』
『冬は寒く感じるかもしれないですよ~。』
『好きな色とか中間色がちょうどイイですよ~。』
なんてね。
そして、春からの季節、一番最初に書いた様に、
「お客さまの気持ちも明るく、夢がふくらみます」
こんな季節の打ち合わせはとても楽しい!!
楽しく住まいづくりを始めるなら春がおススメです!
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2013年03月18日
応援します! ~花粉症と住まいづくり~
「クシュン!」 とクシャミに大きなマスク。
止まらない鼻水や涙目・・・
花粉症でお悩みの方が本当に多くなりましたね。
そこで、お客様からご要望を頂くことが多くなってきたのが「室内の物干し場」です。
「そうそう!それ欲しい!」と思う方も多いのではないでしょうか?
そこで、「室内の物干し」に関して少しまとめてみます。
こちらの写真をご覧ください。

奥の天井に見える白くて長いモノが「昇降式の物干し竿」で、(蛍光灯みたいですね。)
2階の階段ホールの写真です。(間取りで下はリビング。)
この写真に秘められた「室内物干し」の秘訣とは? 何だと思います?
ミタキの考える秘訣は下の”続きを読む”に書いてありますよ。
続きを読む
止まらない鼻水や涙目・・・
花粉症でお悩みの方が本当に多くなりましたね。
そこで、お客様からご要望を頂くことが多くなってきたのが「室内の物干し場」です。
「そうそう!それ欲しい!」と思う方も多いのではないでしょうか?
そこで、「室内の物干し」に関して少しまとめてみます。
こちらの写真をご覧ください。

奥の天井に見える白くて長いモノが「昇降式の物干し竿」で、(蛍光灯みたいですね。)
2階の階段ホールの写真です。(間取りで下はリビング。)
この写真に秘められた「室内物干し」の秘訣とは? 何だと思います?
ミタキの考える秘訣は下の”続きを読む”に書いてありますよ。
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タグ :花粉症 住まい 家づくり
Posted by MSF・FF at
12:27
│ミタキと共に住まいを考える
2013年03月12日
復興とコミュニティ
3月5日 復興の足音を聞きに被災地(山元町)を訪問し、役場の方のご厚意で「災害公営住宅」の計画と現状、そして今後の展望を担当課の方から聞くことが出来ました。

まず、
災害公営住宅は、これまでの集合住宅の積層型か平屋、2階建ての低層連棟型のどちらかを住民の方が選択している。
そして、
どちらにも県のモデルプランがあり、まずは県の補助にて進んでいる。
という事でした。
山元町では住民の方が選択された低層型による公営住宅の建設が始まった所です。
現場の様子


展望に関しては、
昨日も報道されていたように、現地では人材、資材の不足で思うように進んでいかないであろう事。
(今回の1期工事も予定の半分に留まっているそうです。)
そして、かつてのコミュニティ→仮設コミュニティ→公営でのコミュニティと出来るだけ住民の皆さんの希望に沿った方同士を近隣居住させてあげたいという思いで希望を募るが、実際に住民の方も様子が分からないので決めかねているのではないか?という事でした。
そこでこんな仮説を
かつての農村集落の様な、家と家とが遠く、人間と人間の近い関係。
これを、家と家が近くて、人間と人間の距離を遠くした現代。
そしてこれからの時代、被災地を筆頭に、
家と家も、人と人も程よく近しいコミュニティの模索が始まるのではないかと。
リーマンショックのあった頃、なんとなく戦後の様な時代が来る気がして、戦後の復興住宅を見学しました、
そして新しい戦後の復興住宅を考えたら?みたいに作った落書きが残っていました。
そんな事を思い出し、再度ファイルを立ち上げると、そこには災害公営住宅のイメージに近い姿があります。



やはり、これからは スマイ+コミュニティ を考える時代なんだと確信しています。
共にそんな事を考えてくれる仲間探しから始めようと思う被災地訪問でした。
続きを読む

まず、
災害公営住宅は、これまでの集合住宅の積層型か平屋、2階建ての低層連棟型のどちらかを住民の方が選択している。
そして、
どちらにも県のモデルプランがあり、まずは県の補助にて進んでいる。
という事でした。
山元町では住民の方が選択された低層型による公営住宅の建設が始まった所です。
現場の様子


展望に関しては、
昨日も報道されていたように、現地では人材、資材の不足で思うように進んでいかないであろう事。
(今回の1期工事も予定の半分に留まっているそうです。)
そして、かつてのコミュニティ→仮設コミュニティ→公営でのコミュニティと出来るだけ住民の皆さんの希望に沿った方同士を近隣居住させてあげたいという思いで希望を募るが、実際に住民の方も様子が分からないので決めかねているのではないか?という事でした。
そこでこんな仮説を
かつての農村集落の様な、家と家とが遠く、人間と人間の近い関係。
これを、家と家が近くて、人間と人間の距離を遠くした現代。
そしてこれからの時代、被災地を筆頭に、
家と家も、人と人も程よく近しいコミュニティの模索が始まるのではないかと。
リーマンショックのあった頃、なんとなく戦後の様な時代が来る気がして、戦後の復興住宅を見学しました、
そして新しい戦後の復興住宅を考えたら?みたいに作った落書きが残っていました。
そんな事を思い出し、再度ファイルを立ち上げると、そこには災害公営住宅のイメージに近い姿があります。



やはり、これからは スマイ+コミュニティ を考える時代なんだと確信しています。
共にそんな事を考えてくれる仲間探しから始めようと思う被災地訪問でした。
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2013年03月11日
もうすぐ3・11から2年 その2
今日は3.11
豊川とご縁のある山元町の3年目の始まりの様子はコチラで聞くことが出来ます。
サイマルラジオ 東北のカテゴリーの中の「りんごラジオ」を視聴してくださいね。
http://www.simulradio.jp/
山元情報てんこもりより 放送予定
10:10~震災で犠牲になった皆様のお名前の奉読
14:30~「東日本大震災2周年山元町追悼式」 会場の山下中学校体育館から生中継
17:00すぎ~ 東日本大震災2周年企画「語り継ぐ私と東日本大震災⑬」齋藤俊夫町長
さて、
昨年の11月に訪問した時は町の”産業まつり”と題した大きなイベントの時。
山元町の復興のシンボルとして町内に掲げる”黄色い旗”を穂の国青年会議所の事業で募り、
届けに行ったのです。

そこには復興支援のために全国各県からやって来た団体、企業、店舗などが地元の方とテントを連ねて大盛況。
まだまだ忘れず支援している人がこんなにも多く居ることに驚きと嬉しさも感じました。
でもですね、一見、復興に向け明るい希望の見えるこの風景。
言われなければ僕も分からなかった事。
それこそ絶対に忘れてはいけない事なので、今日はその事を書いておこうと思います。
それは昨年の4月に町役場でお話を聞いたときに始まります。
「たくさんのボランティアの方が、瓦礫の片づけなどの作業、仮設住宅への生活サービス提供、イベント開催など多くの支援をしてくださいます。」
「これは本当にありがたい事。でもそれだけでは復興は進まないんです。」
「被災エリアの復旧、鉄道の移転、公営住宅の建設、役場、学校など公共施設再建、海岸沿いの堤防や、防潮林、メモリアルパーク、、、、
まずはようやく計画が出来たこの1年でした。これからは、そのためのお金、人材(町の職員)など数年間も必要になります。必要なタイミングで必要なモノ、ヒトが足りるのかどうか?それが本当に不安な事です。」
と仰ってたのが1年前。
そして、昨年11月に未だに僕の頭から離れない言葉を聞くことになりました。
「復興には表面と本質があります。表面は順調に見えるでしょう。しかし町の復興のための本質的支援はこれから必要で足りてないんです。」
忘れないで欲しい。そう告げられました。
ここ数日の報道を見ていても、ついこの言葉を思い出してしまいます。
”復興の表面と本質”この様な視点で報道を仕分けしてみたらどうでしょう。
そして、報道されない町 ”山元町” の様子をラジオで聴いてみて下さい。
現在の黄色い旗の様子


もうすぐ3・11から2年 その1はコチラ
豊川とご縁のある山元町の3年目の始まりの様子はコチラで聞くことが出来ます。
サイマルラジオ 東北のカテゴリーの中の「りんごラジオ」を視聴してくださいね。
http://www.simulradio.jp/
山元情報てんこもりより 放送予定
10:10~震災で犠牲になった皆様のお名前の奉読
14:30~「東日本大震災2周年山元町追悼式」 会場の山下中学校体育館から生中継
17:00すぎ~ 東日本大震災2周年企画「語り継ぐ私と東日本大震災⑬」齋藤俊夫町長
さて、
昨年の11月に訪問した時は町の”産業まつり”と題した大きなイベントの時。
山元町の復興のシンボルとして町内に掲げる”黄色い旗”を穂の国青年会議所の事業で募り、
届けに行ったのです。

そこには復興支援のために全国各県からやって来た団体、企業、店舗などが地元の方とテントを連ねて大盛況。
まだまだ忘れず支援している人がこんなにも多く居ることに驚きと嬉しさも感じました。
でもですね、一見、復興に向け明るい希望の見えるこの風景。
言われなければ僕も分からなかった事。
それこそ絶対に忘れてはいけない事なので、今日はその事を書いておこうと思います。
それは昨年の4月に町役場でお話を聞いたときに始まります。
「たくさんのボランティアの方が、瓦礫の片づけなどの作業、仮設住宅への生活サービス提供、イベント開催など多くの支援をしてくださいます。」
「これは本当にありがたい事。でもそれだけでは復興は進まないんです。」
「被災エリアの復旧、鉄道の移転、公営住宅の建設、役場、学校など公共施設再建、海岸沿いの堤防や、防潮林、メモリアルパーク、、、、
まずはようやく計画が出来たこの1年でした。これからは、そのためのお金、人材(町の職員)など数年間も必要になります。必要なタイミングで必要なモノ、ヒトが足りるのかどうか?それが本当に不安な事です。」
と仰ってたのが1年前。
そして、昨年11月に未だに僕の頭から離れない言葉を聞くことになりました。
「復興には表面と本質があります。表面は順調に見えるでしょう。しかし町の復興のための本質的支援はこれから必要で足りてないんです。」
忘れないで欲しい。そう告げられました。
ここ数日の報道を見ていても、ついこの言葉を思い出してしまいます。
”復興の表面と本質”この様な視点で報道を仕分けしてみたらどうでしょう。
そして、報道されない町 ”山元町” の様子をラジオで聴いてみて下さい。
現在の黄色い旗の様子


もうすぐ3・11から2年 その1はコチラ
2013年03月09日
住まいづくり。さいしょの一歩
昨日、お仕事である大きな企業の開発室へお邪魔しました。
そこにあったのは、紙の廃材やホームセンターで売ってるモノなどで
つくられた大きな製品の模型。
何かと聞くと、”新入社員さんの研修で製品のアイデアをつくったもの”なんだそう。
残念ながら写真ではお見せできませんが、同行してた方は”ピタゴラスイッチみたい!”
と言ってたほど大人が作ったとは思えない楽しい姿をしていました。
(本当はは多くの専門知識があって出来たカタチだと思われますが^^)
ただ、無いものを生み出す専門家がまず最初にその楽しさを理解するために行われる
こ研修は素晴らしいと思いました。
住まいづくりも、お店づくりも、さいしょの一歩はこうでなくちゃいけないのかもしれません。
そんな事考えてたら、昨年撮ったウチの娘の事を思い出しました。
そういえば”わたしのおうち”って言ってたねえ。
こういうのいいかも!
そこにあったのは、紙の廃材やホームセンターで売ってるモノなどで
つくられた大きな製品の模型。
何かと聞くと、”新入社員さんの研修で製品のアイデアをつくったもの”なんだそう。
残念ながら写真ではお見せできませんが、同行してた方は”ピタゴラスイッチみたい!”
と言ってたほど大人が作ったとは思えない楽しい姿をしていました。
(本当はは多くの専門知識があって出来たカタチだと思われますが^^)
ただ、無いものを生み出す専門家がまず最初にその楽しさを理解するために行われる
こ研修は素晴らしいと思いました。
住まいづくりも、お店づくりも、さいしょの一歩はこうでなくちゃいけないのかもしれません。
そんな事考えてたら、昨年撮ったウチの娘の事を思い出しました。
そういえば”わたしのおうち”って言ってたねえ。
こういうのいいかも!

2013年03月07日
もうすぐ3・11から2年 その1
あの日から2年。
僕が初めて現地に行けたのが震災から1年後。
遺体の捜索や瓦礫の撤去で立ち入り禁止になっていた被災エリアに立ち入りが許可された昨年の春の事。
その時から4度、宮城県亘理郡山元町を訪ねました。
僕なんかが役に立つ事など何も無く、ただ現地の様子やニーズを伝える事しか出来ませんが、
恩返しのつもりで少しブログに記していこうと思います。
最初の今回は、この1年間の3、4か月ごとの変化です。
最初は昨年の4月。1年間で何も進んでいない景色に愕然としました。

次は8月。何も進んでいないまま緑の草に覆われ、むしろ美しいとすら感じる景色。

次は11月。草も枯れ、少しずつ道路や瓦礫の整理が出来てきた感じを受けました。

最後はつい先日の様子です。 瓦礫の山もかなり姿を消し、道路の舗装もされ始め、
畑の塩害の除去、など今後の復興に向けきれいに整理がついた印象を受けました。

これから数日、この二年を振り返る様々な報道があるでしょう。
その内容はきっと、この様に”ゆっくりしか進まない復興”という感じではないでしょうか。
僕の個人的感想では、今後はどうするのかを計画し話し合ったり、
復興への準備としてインフラの整備、土壌の改良など、時間のかかる事も多く、
進めようにも少しずつしか進まない2年間だった様に思います。
しかし、大体の準備が整い、さあいよいよ復興という雰囲気が感じられる今、
発災直後の募金の様に、また様々な支援が必要な時が来ています。
今からなんて遅いとは思わないで下さい。これからなんです。
僕が初めて現地に行けたのが震災から1年後。
遺体の捜索や瓦礫の撤去で立ち入り禁止になっていた被災エリアに立ち入りが許可された昨年の春の事。
その時から4度、宮城県亘理郡山元町を訪ねました。
僕なんかが役に立つ事など何も無く、ただ現地の様子やニーズを伝える事しか出来ませんが、
恩返しのつもりで少しブログに記していこうと思います。
最初の今回は、この1年間の3、4か月ごとの変化です。
最初は昨年の4月。1年間で何も進んでいない景色に愕然としました。

次は8月。何も進んでいないまま緑の草に覆われ、むしろ美しいとすら感じる景色。

次は11月。草も枯れ、少しずつ道路や瓦礫の整理が出来てきた感じを受けました。

最後はつい先日の様子です。 瓦礫の山もかなり姿を消し、道路の舗装もされ始め、
畑の塩害の除去、など今後の復興に向けきれいに整理がついた印象を受けました。

これから数日、この二年を振り返る様々な報道があるでしょう。
その内容はきっと、この様に”ゆっくりしか進まない復興”という感じではないでしょうか。
僕の個人的感想では、今後はどうするのかを計画し話し合ったり、
復興への準備としてインフラの整備、土壌の改良など、時間のかかる事も多く、
進めようにも少しずつしか進まない2年間だった様に思います。
しかし、大体の準備が整い、さあいよいよ復興という雰囲気が感じられる今、
発災直後の募金の様に、また様々な支援が必要な時が来ています。
今からなんて遅いとは思わないで下さい。これからなんです。