住まいづくりを応援します/ミタキスペースファクトリー › 2010年04月
2010年04月27日
番外編 産業の歴史は面白い。
リンクが続きますが、この記事も実に面白い!
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/FEATURE/20090408/168504/?P=1
コンピューターから35年で住まいが変るという僕の理論。
上記記事の表を見て頂くとよく分かる。
表では2000年を境に社会に与える影響もビジネスから生活を豊かにと変っている。
やはり今からがビジネスの場が変ったように生活の場が変っていくのです。
先日も大学の先生と子どもたちとロボット教室で一日を楽しく過ごしたのだけど
その時、子どもから質問がありました。
「先生、今最先端のロボットは?」
先生の解答は
「うーん。いろいろあるけどロボットハウスかな?」
これは仕込みでもヤラセでも何でもなく、自然に先生から出た言葉。
それを聞いてヤラレました。
間違ってなかった
「井上行きまーーーす。」と
あのロボットのパイロットの様な気分で迷いが吹っ切れました。
このブログを見つけた同業者はラッキーですね(笑
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/FEATURE/20090408/168504/?P=1
コンピューターから35年で住まいが変るという僕の理論。
上記記事の表を見て頂くとよく分かる。
表では2000年を境に社会に与える影響もビジネスから生活を豊かにと変っている。
やはり今からがビジネスの場が変ったように生活の場が変っていくのです。
先日も大学の先生と子どもたちとロボット教室で一日を楽しく過ごしたのだけど
その時、子どもから質問がありました。
「先生、今最先端のロボットは?」
先生の解答は
「うーん。いろいろあるけどロボットハウスかな?」
これは仕込みでもヤラセでも何でもなく、自然に先生から出た言葉。
それを聞いてヤラレました。
間違ってなかった
「井上行きまーーーす。」と
あのロボットのパイロットの様な気分で迷いが吹っ切れました。
このブログを見つけた同業者はラッキーですね(笑
2010年04月21日
産業と住まい その4 地域の産業
豊川が市になり、戦争を終え、工業が発展する。
この流れが分かる資料。
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/tokai_11.html
今見ると当たり前にも思えるストーリーなのだけど、そんな簡単な事じゃない。
先人の勇気ある行動は素晴らしいや。
現在の見えない戦争と言われる時代が終わって、見えない戦後が来たときは
先人を見習い行動すべき事は多くありそう。
資料を見ると工廠という産業を失った空洞に工業を埋めて今がある。
今度の戦後は少しややこしいからアイデアが大切。
間違いなく情報産業主力の国家になっていくが地方も同じとは限らない。
海外にはヒントもありそうだし調べてみよう。
この流れが分かる資料。
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/tokai_11.html
今見ると当たり前にも思えるストーリーなのだけど、そんな簡単な事じゃない。
先人の勇気ある行動は素晴らしいや。
現在の見えない戦争と言われる時代が終わって、見えない戦後が来たときは
先人を見習い行動すべき事は多くありそう。
資料を見ると工廠という産業を失った空洞に工業を埋めて今がある。
今度の戦後は少しややこしいからアイデアが大切。
間違いなく情報産業主力の国家になっていくが地方も同じとは限らない。
海外にはヒントもありそうだし調べてみよう。
2010年04月21日
今後の覚え書き
地域のキーワード
・将来的雇用の維持
・夫婦逆転の可能性
・新しい共働きの形態
・温暖な地域は不変
・地価無上昇か?
・地震をどう考える?
・外国人とのバランス
・大学不在と地域教育
・大学不在で若者不在?
・河川流域活用(山・川・海)
・情報化社会への対応
・選挙の仕組み
・行政枠の変化
・平らなまち
etc
・将来的雇用の維持
・夫婦逆転の可能性
・新しい共働きの形態
・温暖な地域は不変
・地価無上昇か?
・地震をどう考える?
・外国人とのバランス
・大学不在と地域教育
・大学不在で若者不在?
・河川流域活用(山・川・海)
・情報化社会への対応
・選挙の仕組み
・行政枠の変化
・平らなまち
etc
2010年04月20日
番外編 産業と教育
前回までの産業と住まいに関連して面白い記事を見つけました。
産業が変ると教育が変る。
是非↓コチラをご覧下さい。
http://jp.techcrunch.com/archives/20100202israels-time-to-know-aims-to-revolutionize-the-classroom/
ルールが変ると順位が変る。
大きな波が来てますねーー。
産業が変ると教育が変る。
是非↓コチラをご覧下さい。
http://jp.techcrunch.com/archives/20100202israels-time-to-know-aims-to-revolutionize-the-classroom/
ルールが変ると順位が変る。
大きな波が来てますねーー。
2010年04月13日
産業と住まい その3 未来と住まい
さて、前回は約50年ごとの住まいの変化。 産業変化の兆しから35年ほどで家が変り始めることを書きました。そして今が産業変化の兆しから35年である事も。
そして今回の主役はコンピューター。それが派生し、様々な分野で革新を起こしたり、全く新しい分野を生み出しています。そして今ピークが来ていて、今後住まいがその良さを取り込み変化するというのが大体のあらすじです。
そして、そのキーワードを僕は場所と時間だと考えています。
今の生活が場所と時間から開放される事を今後の人々は便利な時代だと考えるようになるはずです。
兆しは見えています。
例えばアマゾン。本や雑貨を買うには街に住む必要がありました。店が開いてる時間にそこに行く必要がありました。そんな事をあっという間に吹き飛ばしてしまった。
これは物の話です。
産業に置き換えてみましょう。
働くには会社のある場所に住む必要がありました。会社が決めた時間に労働する必要がありました。
そんな事があっという間になくなってしまったら?
街や住まいはどう変るのでしょう。
極論ではありますが、僕が思うに都市部という魅力はもはや無い時代。
最先端な事を言いながら東京にこだわる企業や人々はどこか信用できません。
ある意味地方主役の時代であり、地方次第な時代に突入するのです。
魅力があれば定住者が増え、無ければ過疎化する。
これまでは都会か?田舎か?だった論理が一変するのです。
そして住まいは場所と時間を限定されない事を理由に変化していくはずです。
その答えはまだまだ見えませんが、その時に備えて、今この時代にすべき考え方は多くあります。
次回からはいよいよ地域性も含めた話題を書いて行きたいと思います。
そして今回の主役はコンピューター。それが派生し、様々な分野で革新を起こしたり、全く新しい分野を生み出しています。そして今ピークが来ていて、今後住まいがその良さを取り込み変化するというのが大体のあらすじです。
そして、そのキーワードを僕は場所と時間だと考えています。
今の生活が場所と時間から開放される事を今後の人々は便利な時代だと考えるようになるはずです。
兆しは見えています。
例えばアマゾン。本や雑貨を買うには街に住む必要がありました。店が開いてる時間にそこに行く必要がありました。そんな事をあっという間に吹き飛ばしてしまった。
これは物の話です。
産業に置き換えてみましょう。
働くには会社のある場所に住む必要がありました。会社が決めた時間に労働する必要がありました。
そんな事があっという間になくなってしまったら?
街や住まいはどう変るのでしょう。
極論ではありますが、僕が思うに都市部という魅力はもはや無い時代。
最先端な事を言いながら東京にこだわる企業や人々はどこか信用できません。
ある意味地方主役の時代であり、地方次第な時代に突入するのです。
魅力があれば定住者が増え、無ければ過疎化する。
これまでは都会か?田舎か?だった論理が一変するのです。
そして住まいは場所と時間を限定されない事を理由に変化していくはずです。
その答えはまだまだ見えませんが、その時に備えて、今この時代にすべき考え方は多くあります。
次回からはいよいよ地域性も含めた話題を書いて行きたいと思います。
2010年04月09日
産業と住まい その2 工業と住まい3
今日テレビで放映している「ALWAYS 三丁目の夕日」この中に自動車が往来するシーンがあります。
大通りを走りぬけるミゼット、工場がある自宅に近づくとそこは車が通れるような道ではなく、ヒューマンスケールな路地。主人公の家は正に大きな産業になっていく自動車を支える町の修理工場です。
僕の父もあの時代、映画の様に集団就職で豊川の地にやって来た一人で、就職先はやはり自動車の部品工場でした。
映画の中の建物もまだまだ木造の伝統を残す姿で、昭和47年生まれの僕からすると、昭和33年のこの映画から14年でどれだけ日本は変ったねん!って驚いちゃうんですよね。
三種の神器に新三種の神器。わずか十数年で自動車は一般家庭に広まっていくのです。
すると、映画の様に道路が問題になり、駐車の問題も発生し大きく街を変えなくてはならなくなります。
そう、ここで久々に産業が建物を動かすのです。行政による道路の拡幅。交通網の整備、次々に街の景色が変り、家をたくさん壊して、たくさん作らなくてはならない時代がやって来たのです。
そして生まれてくるのがゼネコン・ハウスメーカーでした。
労働求め都市に殺到する人々を許容するために団地が誕生したり、
効率よく大量にを求めプレハブ技術の研究も進められます。
戦後のこの辺りが、明治に洋館が輸入された次に日本の住まいがその後大きく姿を変えていく第二の分岐点となるのです。
住まいや街の事を考えると、ホントに良かったのかな?と思うのですが、間違いなく僕たちが育った物質的に豊かな時代はココにスタートしています。
昭和33年は1958年です。明治1868から55年で国産第一号の1923年。それからから35年、明治1868年から90年がALWAYS。僕たちが生まれたS47年当時の様子を思えば1923から50年で街は一変してます。
さて、2010年。
今世の中を大きく変えているコンピュータ。起源はどの辺りだと思います?
8ビットマイクロプロセッサを用いた機器が登場したのを起源とするならば、1975年が相当します。
1975年から今年は35年。
知らない間に自動車が普及して街の姿を変始めたのと同じ時間が過ぎています。
考えてみてください。OS革命、IT革命があり世の中は大きく変りました。
もう十数年で住まいが変るタイミングなのです。
20年後の街は私たち住まいを考える人、住まい手であるみなさんにかかっています。
最後にもう一度書きます。
産業が変ると遅れて住まいが変ります。
これは二度も歴史が証明していることです。
大通りを走りぬけるミゼット、工場がある自宅に近づくとそこは車が通れるような道ではなく、ヒューマンスケールな路地。主人公の家は正に大きな産業になっていく自動車を支える町の修理工場です。
僕の父もあの時代、映画の様に集団就職で豊川の地にやって来た一人で、就職先はやはり自動車の部品工場でした。
映画の中の建物もまだまだ木造の伝統を残す姿で、昭和47年生まれの僕からすると、昭和33年のこの映画から14年でどれだけ日本は変ったねん!って驚いちゃうんですよね。
三種の神器に新三種の神器。わずか十数年で自動車は一般家庭に広まっていくのです。
すると、映画の様に道路が問題になり、駐車の問題も発生し大きく街を変えなくてはならなくなります。
そう、ここで久々に産業が建物を動かすのです。行政による道路の拡幅。交通網の整備、次々に街の景色が変り、家をたくさん壊して、たくさん作らなくてはならない時代がやって来たのです。
そして生まれてくるのがゼネコン・ハウスメーカーでした。
労働求め都市に殺到する人々を許容するために団地が誕生したり、
効率よく大量にを求めプレハブ技術の研究も進められます。
戦後のこの辺りが、明治に洋館が輸入された次に日本の住まいがその後大きく姿を変えていく第二の分岐点となるのです。
住まいや街の事を考えると、ホントに良かったのかな?と思うのですが、間違いなく僕たちが育った物質的に豊かな時代はココにスタートしています。
昭和33年は1958年です。明治1868から55年で国産第一号の1923年。それからから35年、明治1868年から90年がALWAYS。僕たちが生まれたS47年当時の様子を思えば1923から50年で街は一変してます。
さて、2010年。
今世の中を大きく変えているコンピュータ。起源はどの辺りだと思います?
8ビットマイクロプロセッサを用いた機器が登場したのを起源とするならば、1975年が相当します。
1975年から今年は35年。
知らない間に自動車が普及して街の姿を変始めたのと同じ時間が過ぎています。
考えてみてください。OS革命、IT革命があり世の中は大きく変りました。
もう十数年で住まいが変るタイミングなのです。
20年後の街は私たち住まいを考える人、住まい手であるみなさんにかかっています。
最後にもう一度書きます。
産業が変ると遅れて住まいが変ります。
これは二度も歴史が証明していることです。
2010年04月07日
産業と住まい その2 工業と住まい2
続きです。
住まいにおける西洋への憧れが一般の人々(基本的に都市部の人)にもたらされたのは大正11年(1922年)の平和祈念東京博覧会だと言われています。この博覧会の展示の中に「文化村」があり、そこに14棟の「文化住宅」が展示されました。関連リンク http://besankosyashin.blog56.fc2.com/blog-entry-271.html
これを機に「文化住宅」という言葉と共に和洋折衷のスタイルが一般の労働者階級(ホワイトカラー中心)に広まっていきます。
大正も後期の事ですので、全国で見られるようになるのは昭和に入ってからで、となりのトトロに出てくるサツキとメイの家みたいな和風住宅の中に洋館がくっついたような住まいや、上記リンクの様な今の住まいに繫がる洋風スタイルが少しずつ広まっていくのです。
そして、文化の象徴とされたのが電気だったと言えるでしょう。
翌年の大正12年に国産自動車第1号が作られている事を考えると、この頃の住まいの考え方の中に自動車との関係は無いと言って良いと思います。
少し振り返りますと、工業が兆しを見せた明治初期(1868年~)約50年かけて洋館は一般の人の手の届くものになり始めます。この50年というタイミングが今の人にとって非常に大切な時間に感じてなりません。
次回は自動車産業の中での住まいについてかな?
住まいにおける西洋への憧れが一般の人々(基本的に都市部の人)にもたらされたのは大正11年(1922年)の平和祈念東京博覧会だと言われています。この博覧会の展示の中に「文化村」があり、そこに14棟の「文化住宅」が展示されました。関連リンク http://besankosyashin.blog56.fc2.com/blog-entry-271.html
これを機に「文化住宅」という言葉と共に和洋折衷のスタイルが一般の労働者階級(ホワイトカラー中心)に広まっていきます。
大正も後期の事ですので、全国で見られるようになるのは昭和に入ってからで、となりのトトロに出てくるサツキとメイの家みたいな和風住宅の中に洋館がくっついたような住まいや、上記リンクの様な今の住まいに繫がる洋風スタイルが少しずつ広まっていくのです。
そして、文化の象徴とされたのが電気だったと言えるでしょう。
翌年の大正12年に国産自動車第1号が作られている事を考えると、この頃の住まいの考え方の中に自動車との関係は無いと言って良いと思います。
少し振り返りますと、工業が兆しを見せた明治初期(1868年~)約50年かけて洋館は一般の人の手の届くものになり始めます。この50年というタイミングが今の人にとって非常に大切な時間に感じてなりません。
次回は自動車産業の中での住まいについてかな?
2010年04月06日
産業と住まい その2 工業と住まい1
先に記した農業の世界は、工業という産業が出来た事により人が流出します。すると血族、共同体は徐々に解体され危機が訪れます。しかし、それを救ったのも工業で、農業機械の導入で、かつての大家族形態でなくても農業は維持出来、結果今の山村や農村の形態へと繫がるのです。そして、どんな時代が来ても変る事を好しとしなかった。これは現代になると一つの価値であり文化財になった民家も多く存在しています。
さて工業ですが、
明治から大正、昭和と工業という産業は様々な変化と成長をします。軽工業から重工業、家内工業から大量生産、視点は様々あり解釈も様々ですが大きな解釈で記します。
産業革命後の流通は船舶、鉄道、そして人馬によるもので、流通が円滑に行われる港湾、鉄道沿線、街道沿いを中心に今の都市の種の様な場所が全国各地に興ります。この頃の住まいを見ると、労働の場を中心にした労働者の住まいもありますが、まだまだ今の商店に近い、職住一体の形式も多く見られました。
初期の頃は、まだ住まいが工業化を理解できず、農家の延長の様な形態であり、労働者の住まいは江戸の長屋とさほど変らず、職住一体型も農村の民家の土間を作業場にした程度です。
現パナソニックの松下幸之助が創業した家の再現モデルを見たことがありますが、決して工場と言えるものではなかったです。創業が1918年(大正7年)ですから、一般の人々の住まいはさほど進歩していなかった事が分かります。
大きな視点で見ると、明治、大正と言う時代は工業が興り、人々が動き、都市の形成が成された時代で、その要素である住まいはさほど大きな進化をしなかったと見えます。国が豊かになる過程の中で人々も労働者として財を蓄えている時代と言っても良いのかもしれません。
この後、上流の人々の暮らし、西洋の暮らしの情報が憧れを与え、住まいも徐々に変化していきます。松下幸之助に代表される新しい技術を求めた人々による高度成長の時代。僕らも半分弱を知る昭和がやってくるのです。
ようやくこの頃の住まいには面白い特徴が出てきますが、その話は次回へ。
2010年04月02日
産業と住まい その1 農業と住まい
先日の続き
産業の変化の後に住まいが変化すると書きました。
まずは歴史を振り返り、どんな変化があったのかを
知る必要がありますね。
明治初めの資料を見ると、日本の80%以上の人が
農業従事者であったことが分かります。
産業が農業中心であると住まいには何が起こっているか?
現在農業を営む方と何ら変らないのですが、家族が常に
家に居るという事が本質ではないかと思います。
機械化されていない時代は、血縁関係、主従関係様々な
人々が作物を作るために日夜限られた地域で生活していました。
そのために、母屋、本家と言われる建物は大きく。何人
もの人を囲う必要がありましたし、それでも足りず周り
には多数の小さな小屋が建っていたという記録があります。
つまり、農作業を円滑に行うためには多くの人が必要で
収容施設としての家、または家の集合体があったのです。
想像のつく東三河で考えてみても、農業やってる人の家は大
きいなあというイメージがありませんか?
これは農家が裕福だからとかでは無く、産業の仕組みがそうし
ていたのです。
ちなみに、
東北や北陸など農家の多く残る地域の工務店データを見ると
一棟の床面積が多い傾向にあり、年間実績を棟数で見ると少
ない傾向があります。
しかしながら、その家に住む人の数は今の方が圧倒的に少なく
なっており、兼業農家だったりもします。
ご先祖様が残したものを小さく出来ないとか、隣の家より大き
な家を建てようというのは産業、社会の変化によりナンセンス
なのですが、建築屋さんもありがたいわけなので、年に一度の
賑わいを楽しみだけに大きな家に住む人たちも居るのです。
最後に産業が農業だった頃の住まいの特徴を整理します。
・24時間、老若男女が狭い地域の中で暮らす共同体。
・共同体には長が居て主従関係があった。
・私たちが思う農家の家は主の家であり、それが大きいのは
多くの人が集う機会が多かったり、実際に多くの人が住ん
でいたから。
・今は見られないが、母屋を囲う小さな住居郡も存在していた。
続く
産業の変化の後に住まいが変化すると書きました。
まずは歴史を振り返り、どんな変化があったのかを
知る必要がありますね。
明治初めの資料を見ると、日本の80%以上の人が
農業従事者であったことが分かります。
産業が農業中心であると住まいには何が起こっているか?
現在農業を営む方と何ら変らないのですが、家族が常に
家に居るという事が本質ではないかと思います。
機械化されていない時代は、血縁関係、主従関係様々な
人々が作物を作るために日夜限られた地域で生活していました。
そのために、母屋、本家と言われる建物は大きく。何人
もの人を囲う必要がありましたし、それでも足りず周り
には多数の小さな小屋が建っていたという記録があります。
つまり、農作業を円滑に行うためには多くの人が必要で
収容施設としての家、または家の集合体があったのです。
想像のつく東三河で考えてみても、農業やってる人の家は大
きいなあというイメージがありませんか?
これは農家が裕福だからとかでは無く、産業の仕組みがそうし
ていたのです。
ちなみに、
東北や北陸など農家の多く残る地域の工務店データを見ると
一棟の床面積が多い傾向にあり、年間実績を棟数で見ると少
ない傾向があります。
しかしながら、その家に住む人の数は今の方が圧倒的に少なく
なっており、兼業農家だったりもします。
ご先祖様が残したものを小さく出来ないとか、隣の家より大き
な家を建てようというのは産業、社会の変化によりナンセンス
なのですが、建築屋さんもありがたいわけなので、年に一度の
賑わいを楽しみだけに大きな家に住む人たちも居るのです。
最後に産業が農業だった頃の住まいの特徴を整理します。
・24時間、老若男女が狭い地域の中で暮らす共同体。
・共同体には長が居て主従関係があった。
・私たちが思う農家の家は主の家であり、それが大きいのは
多くの人が集う機会が多かったり、実際に多くの人が住ん
でいたから。
・今は見られないが、母屋を囲う小さな住居郡も存在していた。
続く
2010年04月01日
開講です。
テレビでは「竜馬伝」が盛り上がっています。
数年前より今の時代を幕末に例える人は多く居て、今そのピークが来ているといった感じです。
僕自身は「何処が幕末?」って所に自論を持ってまして、多くの人が政権の交代や中央の崩壊と見る中、
僕は「産業の変換点」という視点で見ています。
黒船が来た時、世界は産業革命後。その製品の市場を求めて世界が動き、日本を変えました。
竜馬が凄いと思うのは、鎖国だ開国だと論じられる中で、全く別の視点「技術」に目を向けたところです。
幕末は日本のメイン産業が農業から重工業へ変る兆しが見えた最初です。
これに気付いた竜馬は凄いですし、今の私たちはこの事から多く学ぶことがあるという事なのでしょう。
さて話を住まいに移します。
日本の建築史を見ても明治という時代に西洋から技術が入ってきたことが大きな転換期であることは間違いありません。それまでの日本には木造建築物しかなく、レンガや鉄を用いる事には衝撃的な感じがしたと想像できます。
先ほど歴史に学ばなくてはならないと言いました。
明治維新の後、住まいは大きく変化しました。産業が住まいを変えたのです。
太平洋戦争の後も、製鉄や造船から自動車への産業シフトがありました。
大きくは無いですが、自動車という新しいツールにより都市や住まいが変化しています。
そうです。産業の変化は住まいを変えるのです。
別の言い方をすると、産業が変ればそれに合わせて住まいも変るのです。
今、産業は工業から情報・通信・ハイテク技術へと変化しています。
しかし「住まい」はまだ変っていません。
歴史に学べば、この後に必ず住まいは変るのです。
それは新しい社会での皆さんのライフスタイルに合った姿へと変るはずです。
ではどう変るのか?
それは続きにしたいと思います。
数年前より今の時代を幕末に例える人は多く居て、今そのピークが来ているといった感じです。
僕自身は「何処が幕末?」って所に自論を持ってまして、多くの人が政権の交代や中央の崩壊と見る中、
僕は「産業の変換点」という視点で見ています。
黒船が来た時、世界は産業革命後。その製品の市場を求めて世界が動き、日本を変えました。
竜馬が凄いと思うのは、鎖国だ開国だと論じられる中で、全く別の視点「技術」に目を向けたところです。
幕末は日本のメイン産業が農業から重工業へ変る兆しが見えた最初です。
これに気付いた竜馬は凄いですし、今の私たちはこの事から多く学ぶことがあるという事なのでしょう。
さて話を住まいに移します。
日本の建築史を見ても明治という時代に西洋から技術が入ってきたことが大きな転換期であることは間違いありません。それまでの日本には木造建築物しかなく、レンガや鉄を用いる事には衝撃的な感じがしたと想像できます。
先ほど歴史に学ばなくてはならないと言いました。
明治維新の後、住まいは大きく変化しました。産業が住まいを変えたのです。
太平洋戦争の後も、製鉄や造船から自動車への産業シフトがありました。
大きくは無いですが、自動車という新しいツールにより都市や住まいが変化しています。
そうです。産業の変化は住まいを変えるのです。
別の言い方をすると、産業が変ればそれに合わせて住まいも変るのです。
今、産業は工業から情報・通信・ハイテク技術へと変化しています。
しかし「住まい」はまだ変っていません。
歴史に学べば、この後に必ず住まいは変るのです。
それは新しい社会での皆さんのライフスタイルに合った姿へと変るはずです。
ではどう変るのか?
それは続きにしたいと思います。