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2010年04月02日
産業と住まい その1 農業と住まい
先日の続き
産業の変化の後に住まいが変化すると書きました。
まずは歴史を振り返り、どんな変化があったのかを
知る必要がありますね。
明治初めの資料を見ると、日本の80%以上の人が
農業従事者であったことが分かります。
産業が農業中心であると住まいには何が起こっているか?
現在農業を営む方と何ら変らないのですが、家族が常に
家に居るという事が本質ではないかと思います。
機械化されていない時代は、血縁関係、主従関係様々な
人々が作物を作るために日夜限られた地域で生活していました。
そのために、母屋、本家と言われる建物は大きく。何人
もの人を囲う必要がありましたし、それでも足りず周り
には多数の小さな小屋が建っていたという記録があります。
つまり、農作業を円滑に行うためには多くの人が必要で
収容施設としての家、または家の集合体があったのです。
想像のつく東三河で考えてみても、農業やってる人の家は大
きいなあというイメージがありませんか?
これは農家が裕福だからとかでは無く、産業の仕組みがそうし
ていたのです。
ちなみに、
東北や北陸など農家の多く残る地域の工務店データを見ると
一棟の床面積が多い傾向にあり、年間実績を棟数で見ると少
ない傾向があります。
しかしながら、その家に住む人の数は今の方が圧倒的に少なく
なっており、兼業農家だったりもします。
ご先祖様が残したものを小さく出来ないとか、隣の家より大き
な家を建てようというのは産業、社会の変化によりナンセンス
なのですが、建築屋さんもありがたいわけなので、年に一度の
賑わいを楽しみだけに大きな家に住む人たちも居るのです。
最後に産業が農業だった頃の住まいの特徴を整理します。
・24時間、老若男女が狭い地域の中で暮らす共同体。
・共同体には長が居て主従関係があった。
・私たちが思う農家の家は主の家であり、それが大きいのは
多くの人が集う機会が多かったり、実際に多くの人が住ん
でいたから。
・今は見られないが、母屋を囲う小さな住居郡も存在していた。
続く
産業の変化の後に住まいが変化すると書きました。
まずは歴史を振り返り、どんな変化があったのかを
知る必要がありますね。
明治初めの資料を見ると、日本の80%以上の人が
農業従事者であったことが分かります。
産業が農業中心であると住まいには何が起こっているか?
現在農業を営む方と何ら変らないのですが、家族が常に
家に居るという事が本質ではないかと思います。
機械化されていない時代は、血縁関係、主従関係様々な
人々が作物を作るために日夜限られた地域で生活していました。
そのために、母屋、本家と言われる建物は大きく。何人
もの人を囲う必要がありましたし、それでも足りず周り
には多数の小さな小屋が建っていたという記録があります。
つまり、農作業を円滑に行うためには多くの人が必要で
収容施設としての家、または家の集合体があったのです。
想像のつく東三河で考えてみても、農業やってる人の家は大
きいなあというイメージがありませんか?
これは農家が裕福だからとかでは無く、産業の仕組みがそうし
ていたのです。
ちなみに、
東北や北陸など農家の多く残る地域の工務店データを見ると
一棟の床面積が多い傾向にあり、年間実績を棟数で見ると少
ない傾向があります。
しかしながら、その家に住む人の数は今の方が圧倒的に少なく
なっており、兼業農家だったりもします。
ご先祖様が残したものを小さく出来ないとか、隣の家より大き
な家を建てようというのは産業、社会の変化によりナンセンス
なのですが、建築屋さんもありがたいわけなので、年に一度の
賑わいを楽しみだけに大きな家に住む人たちも居るのです。
最後に産業が農業だった頃の住まいの特徴を整理します。
・24時間、老若男女が狭い地域の中で暮らす共同体。
・共同体には長が居て主従関係があった。
・私たちが思う農家の家は主の家であり、それが大きいのは
多くの人が集う機会が多かったり、実際に多くの人が住ん
でいたから。
・今は見られないが、母屋を囲う小さな住居郡も存在していた。
続く
Posted by MSF・FF at 17:37│Comments(0)
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